8/27(月)車人形公演に向けてのゲネプロ。最後の合わせ稽古!労音大久保会館にて夜7:00頃~ [佐倉義民伝]
いよいよあと、1か月「平井澄子生誕100年記念演奏会・佐倉義民伝・甚兵衛渡し場の段」車人形公演にむけて、語りの東音・野口悦至さんと、1回目の合わせ稽古! [佐倉義民伝]
いよいよ、公演まであと1か月となりました。明日は、稽古場である、労音東部センターに、語りの東音・野口悦至さんにも来ていただき、公演に向けての1回目の合わせ稽古を予定しています。9月といっても、8月の1か月で、お盆休みもあり、あっという間に公演がきてしまいそうです。チケットも座席指定券ですが、良い席をとりあいながら、皆さん持ち歩いて売っています。私の手持ちチケットも足りなくなり、また、追加分を明日もらいます。良いお席は、お早目にお申込みください。
さあ、チケット売りも本気でしなきゃ!平井澄子生誕100年記念公演「佐倉義民伝」 [佐倉義民伝]
9/1(土)の「佐倉義民伝」公演。チケットは全席指定。それぞれ、振り分けてチケットを売り始めています。写真展の宣伝兼ねて動いている雨宮さんは、手持ちの10枚はすべて売り、また8枚追加したという。私も、実行委員としてかかわった荒馬座の公演も終わり、これからはチケット売りも本気でしなければ・・。住所のわからないフェイスブックの人にも先日、イベント案内を使って知らせていたのですが、その中の人から、仕事が9/1休みが取れたので見に行きます。とメッセージが入りました。兵庫県、西宮市から2名様!この方は、カルカスフアンであり、雨宮真理さんの「カルカス写真展」の時に、わざわざ1人夜行バスで足柄まで写真展を見に来られていた保母さん。その時、御一緒し、宍戸さん宅での交流の時間を共にした方。私からは、手作り名刺をあげて、「ブログ書いているからよかったら見て」と、渡していた一人。車人形のことにも関心を寄せてくれて、その後、フェイスブックでも繋がり、お互いの記事にいいね!と反応したり、コメント入れたりの関係が続いていて、公演の事もそれで知っていましたが、まさか、わざわざ、休みをとってまで来てくれると思ってもいませんでした。しかも、ご主人と2枚の申し込み。もちろん、雨宮さんの、写真展にも参加。嬉しいですね、今ならいい席あると言えて。おかげで、手持ちの10枚の売り宛てが決まり、私もチケットまたもらわねば・・・。いい席はどんどんなくなりますよ。お申込みは、お早目に!
本日、民族音楽研究会 演奏会 労音十条会館14:00~ 満員御礼の模様!労音車人形の会「佐倉義民伝」出演 [佐倉義民伝]
動画画像は、宗吾登場シーンのみ公開。あとは一旦非公開にさせていただきました。 [佐倉義民伝]
雪道を踏みしめるように歩く宗吾の足どり。凍える手に息を吹きかけ寒さをしのぐ。
九州公演をきっかけに夫が作った佐倉義民伝の大道具・・・柳の木、舟など [佐倉義民伝]
9/1(土)16:00~平井澄子生誕100年記念演奏会・佐倉義民伝甚兵衛渡し場の段 全席指定4000円シアター1010~協賛開催 SYNCHRONICITY 雨宮真理写真展8/28(火)~9/8(土)EIZOガレリア銀座(入場無料)日曜・月曜休館・時間10:00~18:30 [佐倉義民伝]
佐倉義民伝に込める積み重ねた想い・・困難を覚悟で決意しこの物語に一緒に挑んだ仲間達と、地位や立場を超えて共に困難を乗り越え信頼し合える仲間との出会い。想いが一致したときの力を得るような喜び、絆。 [佐倉義民伝]
私達、労音・車人形の会が、「新曲・まんざい」と「さんしょう太夫」だけしか出来ていない頃に、「佐倉義民伝」の語りに挑戦されている、東音・野口悦至氏に出会い、その後、車人形を付けての「佐倉義民伝」の公演のオファーをいただき、九州・福岡での公演という、「遠隔地」「大道具が大きく運搬が大変」「まだ、習っていない演目を、間に合わせられるのか?」数々の無理難題を前に、私は、遠いとか、道具の事とかの問題より、「やるか、やらないか?決意の問題だ!」と・・・その昔、いくつかのオファーをメンバーが揃わず断念した記憶が甦る。・・しかし、今回のこの話、断ってはならぬ!「絶対やる!、このメンバーならきっと出来る!」「今、やらなかったら、いつになったって出来ない」「私達じゃ頼りないかもしれないけれど、私達に教えないで誰に教えるの?このまま年をとっていく気なのか?」「教えるのが私達じゃ不服なのか?」とまで、師匠を詰めたのです。そして、後戻り出来ない決意をして、師匠と共に「佐倉義民伝」の公演に挑む意思統一が出来たのでした。一人の決意は、二人となり四人となり、周りを巻き込み、大道具は、その頃、工芸の仕事をしていた私の夫が、柳の木と、舟と、バックの絵の支柱を組み立て式に作り変えてくれました。大道具は宅急便で送れる状態になり、そして、九州公演が実現。それから、2006年から2008年まで、3年がかりで3大車人形公演の企画が決まり、「唐人・おきち」にも挑戦。また、2009年には、人形劇の祭典。長野県・飯田市の「人形劇フェスタ」にエントリーし、一般人形劇団も多数参加する中、「さんしょう太夫」を公演しました。この時の語りも、東音・野口悦至氏でした。野口さんには、九州での「佐倉義民伝」と、「さんしょう太夫」の語りを、浅草公会堂公演と、いいだ・人形劇フェスタと語ってていただき、今回が4度目のご縁です。「さんしょう太夫」の新しい演奏陣の指導の方にもご尽力いただきました。飯田の宿泊先で本番後、夜は、語り明かすほど、私達と野口さんは交流を深めました。今回、平井澄子生誕100年記念公演をするにあたり、語りは野口さんでいきましょう。と、坂井敏子先生からもお名前が出るくらい信頼も厚く、過去の実績でご尽力されたことが、今回の公演出演に結びついています。様々な困難に、共に挑み、取り組んできた仲間なのです。これまでの、公演を重ねる中で、私達は、公演への決意を何度もして仲間の信頼と絆を深めてきました。坂井敏子先生はじめ、大先生方の熱心なご指導。平井澄子の会と民研の方々との公演協力。協賛開催で、無名の私達の遣る車人形を題材に写真展を開催することになった、カメラマンの雨宮真理さんとの6年にも及ぶ私達との濃い関わり。車人形を遣る人は、出来なかったけれど、川瀬師匠の一番のフアンでもあり、私達「労音・車人形の会」の強力なスポークスウーマンとなりました。また、今回の記念公演を、東京労音東部地域の地域例会として位置づけ、稽古している地元、北千住での公演が実現することは、大きな意義があります。生演奏、生語り、照明や大道具も入れて舞台用として大がかりに作られている車人形作品ですので、多くの人が関わらないと成り立ちません。人と人とが地位や立場を超えて認め合い信頼し合える仲間の力で作り上げる素晴らしさ。それぞれ決意し、困難を共に乗り越え、人との絆を深め、結びつけてこそ成功する。ここに労音運動の素晴らしさがあると、代弁するかのように、タカクラ・テル氏と、平井澄子先生が、この「佐倉義民伝」に想いを込めて作られたように思えてなりません。そして、労音に車人形の作品として作られた第1作目がこの「佐倉義民伝」なのです。
動画公開のせい?チラシのせい?思いのほか反応良く、今日もブログ閲覧数300超え。 [佐倉義民伝]
佐倉義民伝・宗吾登場シーン - YouTube
http://youtu.be/9z4aJ9IL8Ucカメラマン雨宮真理さんのブログでは、同じシーンを撮った写真と共に、この動画を掲載。見比べてみるのも面白いです。
Motto☆写真の世界を知りたいhttp://mottophoto.blog61.fc2.com/
7/1(日) 2:00~労音十条会館 佐倉義民伝で労音車人形の会が出演します。参加料金は無料ですが、入場券があります。キャパ80名までのため、参加希望の方は前もって出演関係者へお申込みください。 [佐倉義民伝]
明日は、「佐倉義民伝」民研の人達と合わせ稽古 [佐倉義民伝]
やはり宗吾の衣裳を作り直すことに!次回着付けられるよう夜な夜な作成中! [佐倉義民伝]
こうして、宗吾の人形を上半身だけ見るとそれほど違和感がないのですが、足付けて全身見ると、どうもバランスが悪く、動かしてみるとしゃがんだ体勢もイマイチおかしい。結局着物が寸足らずとの判断で、ひと回り大きく作り直すことにしました。何だか、なかなか稽古に進めず、着付けをしては脱がし、やり直してもしっくりいかず・・・宗吾が恰好悪いと、物語もさまになりませんから、頑張って着物も作り直すことにしました。三度目の正直?何だか着付けばかりに時間かかっている?今度こそ上手く出来るといいのですが・・・。来週月曜に着せられるよう、別布地で夜な夜な、私が作成中です。
東日本大震災から1年。9/1(土)平井澄子生誕100年記念公演「佐倉義民伝・甚兵衛渡し場の段」にむけて [佐倉義民伝]
今年、平井澄子生誕100年として、9月の「佐倉義民伝」公演が決定しました。この作品は、タカクラテル作、百姓一揆の物語です。渡しもり「甚兵衛」を主人公としています。名主「宗吾」と、渡し守「甚兵衛」の、立場の違う者同士が、想いを一致させて、一揆の犠牲になる決心をします。人間同士の結びつきの美しさを全面的に押し出すことを目的に作られました。東日本大震災から1年。原発事故の影響もあり、なかなか復興も進まず、いつまで耐えろというのか・・。甚兵衛は渡し船の船乗り。甚兵衛の人形の姿を借りて、被災地の漁港の町の人達の姿が重なります。そして、自らの命を犠牲に人々の緊急避難放送を逃げずに叫び続けた方や、人を助けるために戻って津波にのまれて命を落とした人達がいたことを心に刻み、宗吾が偲ばれ350年語り継がれているように、震災のことを風化させずに語り継いでいきましょう。私達、労音・車人形の会も人形の遣い手として、精一杯演じさせていただきます。
甚兵衛&宗吾の衣裳手直し!頭も作り変えて・・・近々・・ [佐倉義民伝]
あけましておめでとうございます。今年は公演もあり、気合いを入れ直して頑張ります!! [佐倉義民伝]
労音・車人形の会は、今年、既に「佐倉義民伝」の2回の公演予定が決まっていることもあり、1/7(土)千葉県の佐倉へ「佐倉義民伝」ゆかりの地を訪ね、学習と初詣、公演成功を祈願し、日帰りドライブを予定しています。佐倉へ行って、「佐倉義民伝」への想いを深め、また、戻ってから、新年会で意思統一。やっぱり酒がないと勢いつかないメンバーなのです。
佐倉義民伝ゆかりの地めぐり~1/7(土)に計画! [佐倉義民伝]
過去のブログで、佐倉義民伝の公演について振り返り、初演の熱い想いが甦る [佐倉義民伝]
佐倉義民伝の私達にとっての初演は、師匠にとっては27年ぶりの再演でした。2009年9月の過去の記事で、「運命の出会いと執念の佐倉義民伝公演初演」の記事、いいだ人形劇フェスタに挑む年に書いた内容を、今になって読み直し、ともするとなあなあで、何となく日々が過ぎてしまう週1回の車人形の稽古。まだ教えてもらってもいない佐倉義民伝公演の車人形オファーに対し、腹をくくって公演をやり遂げる覚悟をして稽古に望んだことを思い出したのです。私達が専門家をその気にさせてしまったこの話、決して断ってはいけない!やるから、ちゃんと出来るように教えて!教えるのに私達じゃ不服?!いつになったら教えてくれるの?やらずに年をとっていく気?とまで師匠にくってかかり、本気で公演に向けての稽古をする決断を師匠にも迫ったのです。身近な仲間を本気にさせるのは、自分が本気で決意すること。ひとりの決意は、ふたりから4人、5人と意思統一され、公演の運びとなったのでした。もう一度、その頃の熱い想いを思い出す時期がきました。来年、私達も佐倉義民伝に再度挑みます。
佐倉義民伝をいつか飯田で! [佐倉義民伝]
佐倉義民伝 甚兵衛渡し場の段 [佐倉義民伝]
日本の農民一揆の典型的なもので、佐倉(千葉県)で実際におきた一揆の歴史に忠実に基づいて、歌舞伎や講談にも取り上げられた作品です。しかし、当時の封建制の弾圧のもとでは、そのまま上演することができず、筋を関西の出来事にしたり、名前を浅倉宗吾と変え、一揆の相手も領主ではなく、悪代官にせざるをえない状況でした。そのため、取り上げるにあたり、説教浄瑠璃の正本の骨組みはそのまま受け継ぎながら、名前も木内宗吾とし、現実に忠実に近づける必要がありました。農民一揆である以上、重点が名主・宗吾よりは、農民・甚兵衛に重きをおく立場から改訂されました。農民のたたかいの犠牲になる決心をした、人間同士の結びつきの美しさを描いています。車人形は、農民一揆を中心とするさまざまなたたかいと結びつき、佐倉宗吾の物語は生まれ農民の座敷や庭先で素朴な浄瑠璃と素朴な人形で演じ、たたかっている農民を励ましました。
運命の出会いと執念の佐倉義民伝公演初演 [佐倉義民伝]
東部センターで稽古するようになり、私は、労音・車人形の会の会長ということになり、師匠は、指導・顧問となった。外で公演すると、師匠の方が目立つので、「川瀬車人形一座」の雰囲気になり、知らない人は多い。何もかも師匠では、不都合もあり、ふたりで責任分担するようになった。病気がちの加藤さんも復帰し、発表会後も、「新曲・まんざい」と、「新曲・さんしょう太夫」を公演し、真面目に稽古もやっていた。2003年7月、「たわらの会」の演奏会で、東音・野口悦至さんと出会い、今、思えば、運命の出会い!佐倉義民伝を語りだけで公演しているのを聞き、平井作品に果敢に挑んでいる野口さんに好感を持ち、平井先生の思い出話などしながら、「佐倉義民伝」は車人形付けられる作品なんですよ!なかなか、師匠が教えてくれないけど!」などと、初対面にもかかわらず、楽屋で師匠の知らぬ間に、そんな話を野口さんに、加藤さんと私はしていた。これまで、平井先生の女性の語りを聞いていたが、登場人物は男性だから、男性の語りもいいね!そう思いながら、その日、車人形は、「新曲・まんざい」を公演したのでした。師匠の所に、野口さんから後日、改めて、「佐倉義民伝」を、九州の自分の会で、メインで公演したいので、車人形を付けてやってもらえませんか?」との依頼があり、「キター!」あの時、私達が話した事を覚えていて、やりたい気持ちにさせてしまった。専門家を本気にさせてしまった。そう、思った。師匠からは、「九州で遠いし、佐倉義民伝はまだ、教えてもいないし、この依頼、どうしようか?」「相手は、専門家だから、稽古したけど、出来ませんでしたとは言えないぞ!」と言われた。私は、「せっかくの話だし、やる方向で考えたい。稽古を真面目にやるようになった今のメンバーならやれる!」そう思った私は、師匠に今までになく、強く主張した。「この話、遠い、近いの問題ではない。車人形をやるか、やらないかの意志と、決意できるかの問題だ!。この話を断れば、また、いつ佐倉義民伝ができるかわからない。師匠だって、いつまでも若くはない。いったい、いつになったら教えてくれるの?私達じゃ、不満ですか?27年前のメンバーと比べるとへたかもしれないけれど、やると決めたら必死でやろうとするメンバーだと私は思う。私達に教えなかったら、誰にも教えず、年をとっていくのか?以前の苦い思い出もあり、何が何でも、今回はやりたい。依頼された公演は2004年の暮れ。まだ、春だし、充分稽古できる日程。あの時、「新曲・まんざい」しか見ていないのに、初対面だった私達の話を信じて聞いてくれたのだ。出来ないとは、言いたくなかった。「絶対、やる!」と言い張り、「よし!やると決めていいな!」。もう後には引けない。佐倉義民伝の公演の約束をしたことで、師匠も、私達も逃げ場を無くし、腹をくくって公演に向け、稽古と準備の毎日が始まった。舞台・大道具を出したら、埃まみれだった。何しろ、27年ぶりの再演になる。小道具の見直し。衣装の見直し、手直し。また、大道具の柳の木と、舟と、バックの壁などは、新しく作ることになり、私の夫が、工芸の仕事をしていた事もあり、安く作ってもらうことになった。遠くに行くことも考えて、コンパクトに分解できる大道具にしてもらった。私が、毎日のように、昔のビデオを見ていて、夫も嫌でも見ることになり、ビデオの中の演技を、上手いと言うようになり、やっと、協力的になってくれた。かくして、自分の夫まで巻き込んで、「佐倉義民伝」の公演を、27年ぶりに実現する事ができたのです。お陰で、荷物は、運送便で送れることになり、九州・福岡の公演は、私達の「佐倉義民伝」初演となったのです。専門家の野口さんは、ふきの会の坂井・大塩両先生に語りを指導していただく事になり、車人形との共演に、語りで挑み、アマチュアの私達の強い決意は、佐倉義民伝のクライマックスに出てくる「一揆を励ます種となろう」。という宗吾の決意に、立場の違う者同士、団結して挑めば、難しいことも必ずやり遂げるという甚兵衛の話、そのまま実践できたような気分になり、その後の労音・車人形の会の活動に力を与え、三年連続(2006~2008)平井澄子記念演奏会を計画・実現し、成功させ、2009年、今年は、いいだ人形劇フェスタに、語りの、東音・野口さんと共に、「新曲・さんしょう太夫」で、初挑戦するという原動力になったのでした。